メニュー

当サイトについて


イッセイ・ミヤケは、三宅一生のファーストライン

イッセイ・ミヤケは、三宅一生のファーストライン。1938年、広島県生まれ。64年に多摩美術大学図案科卒業後、65年から69年にかけてパリとニューヨークに滞在。その間、ギィーラロッシュ、ジバンシイのアシスタントデザイナーとして修業。70年に帰国後、三宅デザイン事務所を設立。剥年にニューヨークコレクション、73年からはパリコレに参加。77年の「一枚の布」展が話題になる。88年、パリの装飾美術館にて「イッセイ・ミヤケ」展を開催。92年には香水「オードーイッセイ」を93年からプリーツの服だけで構成される「コレクションプリーツープリーズ」を展開している。99年春夏パリコレクションからメインブランド「イッセイ・ミヤケ」のデザインを滝沢直己が担当。そのため、一部では「三宅一生引退」説が流れた。今後はブランド全体の監督と「A−POC(エイボック)」シリーズに取り組んでいく。

「大は小を兼ねる」は服にも通用する?

「大は小を兼ねる」とはいいますが、いままでのパーソナルスタイリングの経験上、本来のサイズより大きなものを着てらっしゃる男性のお客様が多いと感じます。私の意見ですが、この状態を招く原因の一つは、1980年代のバブル全成期に流行した「ソフトスーツ」にあるのでは、と考えています。「ソフトスーツ」は、ラテンースタイルをより強調したシルエットで、肩幅を大きく腰周りをフィットさせ、パンツの幅も全体的にゆったりしたものでした。色もカーキやモカ茶など明るめで、同じスーツでも、先ほど説明したクラシックスーツとはかなり印象が異なります。しかし、体型をカバーしつつゆったりとした着心地があるので、当時は多くのビジネスマンが着ていたものでした。

フロックのカフスの袖口の考察

十八世紀宮廷貴族の装飾的な巨大カフスは、肉体労働をしない旧時代の貴族的エレガンスの証だったということを確認したうえで、カントリー・ジェントルマンが野外スポーツの際に着たフロックのカフスの袖口の考察に入ろう。カントリー・フロックの袖口のカフスが当時主流の男性服と比較して格段に小さかったのは、屋外のハードな運動の邪魔にならないようにするため、そして、そこから雨風が入らないようにするためであった。宮廷貴族的なエレガンスの対極にある袖回りであったことは、待たない。ひらひらしないカフスは当時ロンドンに発生しつつあったダンディズムの趨勢とも相性がよかった。手の動きには品性や感情が隠しようもなく露呈される。感情抑制をよしとするダンディズムにおいては、袖口には作らないにこしたことはない。というような諸般の事情の結果、都会で着用される男性服の袖口はどうなったか?